【ネタバレ有】きみの色は意味が分からない?理解しにくい部分を独自解説&考察!

ドラマ(アニメ)
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はじめに

こんにちは!映画大好きたぁくんです!

突然ですが、皆さんは自分のことを好きと言えますか?
私は、即答はできません。自分でもあまり好きではない部分が誰にでもきっとあるはずで、きっと自分自身が好きと捉えられず悩んでいる人もいると思います。

今回はそのような自分自身に対する悩みを描いた映画「きみの色」を今回は独自目線で好き勝手に解説していきます。また、本作の内容はそこまで難しくはないですが、解釈が分かれるようなシーンもあるので、その部分も考察していきます。

この先、ネタバレ要素を含むので、これから鑑賞を予定している方はご注意ください。

それでは、本作品のあらすじをご紹介したうえで、本編で明言されていない事柄や、理解しにくい部分を、いくつかの項目に分けて解説していきます。

考察の内容は、個人的な解釈に基づいていますので、あくまで素人の意見としてお楽しみいただけると幸いです。

作品情報

  • 公開日:2024年8月30日公開
  • 監督:山田尚子
  • 脚本:吉田玲子
  • 出演者
    鈴木紗由
    高石あかり
    木戸大聖
    新垣結衣
  • 主題歌
    Mr.Children
    「in the pocket」

あらすじ(ネタバレ注意)

あらすじ① 三人の出会い、バンド結成

高校生の日暮トツ子は、「人」が色で見ることができる。寮の設備があるミッションスクールでの生活の中で、成績優秀、容姿端麗で、トツ子の目からもひときわ綺麗な色を放つ一年先輩の作永きみに惹かれていた。しかし、ある日を境にきみは学校を退学してしまう。
きみは、同居している祖母に退学したことを伝えられないまま、古書店「しろねこ堂」でのアルバイトをし、独立した兄が残したギターを練習していた。きみに興味を持っていたトツ子は、同じ高校の生徒の噂話を頼りに本屋を探し廻り、とうとう「しろねこ堂」にて、きみを見つけた。
偶然を装うため、トツ子は音楽の本を手に取り、その場を取り繕っていたが、そこ居合わせた離島に住む音楽が好きな男子高校生、影平ルイととともにバンドを組みたいと咄嗟に口走ってしまう。しかし、ルイ、きみは意外にもかなり乗り気であっさりバンド結成が決まる。離島で生活するルイは、トツ子、きみを島に招待し、普段掃除をしている古い教会でバンドの練習をし始める。三人の仲が深まりだしたころ、ルイはオリジナル曲を演奏したいと提案する。きみ、トツ子はその提案に乗り、曲をそれぞれ制作するのであった。

あらすじ② きみの秘密、トツ子の嘘の発覚

きみはある日、トツ子におばあちゃんに学校を退学したことを伝えられていないという秘密を明かし、もうすぐ学校全体の修学旅行の時期が近づいていたため、きみは修学旅行の期間をどう過ごすべきか悩んでいた。そこでトツ子は自分が仮病を使い、修学旅行には行かず寮に残り、きみを高校の先生には内緒で連れ込み、泊まらせることにする。きみとの時間を楽しむトツ子であったが、部屋にきみと連れ込んでいることがばれてしまう。学長はトツ子にのみ一か月の奉仕活動、反省文の提出を指示したが、シスター日吉子の提案により、生徒ではないきみにも同じ罰を与えられることになり、罰を全うするために離島のルイの元へはしばらく行けないことになってしまった。「しろねこ堂」にてギターの練習とともに反省文を書いていたきみのもとに、シスター日吉子がやってきた。シスター日吉子は冬に高校で行われる「聖バレンタイン祭」のビラを配りに来たと言い、きみにトツ子、ルイとともにバンドとして出演することを提案する。きみは「聖バレンタイン祭」に出ることを決意し、一か月後、三人は離島の練習場所で再開を果たすのであった。

あらすじ③ 好きと秘密の共有

季節は冬になり、ライブの日が近づいていた。三人は教会で練習をしていたが、雪の影響で帰りの船が欠航することになり、トツ子、きみは帰れなくなってしまう。トツ子は高校の友人である八鹿スミカに連絡をするが、スミカの凡ミスでシスター日吉子にばれてしまう。シスター日吉子は教師として対応に迷ったが、合宿という名目で、泊まってきなさいと指示する。
一晩をともに過ごすことになった三人は、その夜お互いの秘密を明かす。ルイの母親は、離島で唯一の医者であり、ルイ自身も子ども頃から医者を継ぐように教育を受けてきたが、街で音楽と出会い、音楽を奏でる楽しさを知ってから医者になることが自分の希望なのかが揺らいでしまい、大学進学の意思は変わっていないものの、母親にもその気持ちが伝えられずにいるとルイは話す。
きみは、同級生、先生、祖母、様々な周囲の人間からの期待に応えるべく、努力をしてきたが、理想の自分とのギャップに耐えられず、退学という道に逃げてしまった、そしてそのことをおばあちゃんに未だに話せていないことを明かす。
トツ子も人が色で見えるという秘密を話し、このことも影響して周囲から浮いてしまうことがあること、自分の色だけは見ることができないことを話した。また、トツ子は幼いころバレエが好きでジゼルを踊りたかったが、うまくいかなかった過去も明かした。
ルイは、それぞれの秘密、好きなものが共有できたことを喜び、トツ子、きみもまた、そのことを喜ぶのであった。

あらすじ④ 告白の勇気、聖バレンタイン祭、別れ

「聖バレンタイン祭」での演奏に際して、ルイ、きみは家族に自分の秘密を打ち明け、演奏を見に来てもらう決心をする。ルイの母親、きみの祖母は、事実を受け入れ演奏を見に来てくれることになった。
「聖バレンタイン祭」当日、退学した身で演奏して良いのか気持ちが揺らぐが、シスター日吉子の後押しもあり、開演を迎える。三人の個性が強く出たコンサートは大いに盛り上がり、大成功を収めた。
「聖バレンタイン祭」でのコンサート後のある日、トツ子は突如、自分の色がわかるようになる。
そして卒業の時期を迎え、ルイは遠方の大学への進学を決め、船での出発を控えていた。きみは別れを受け入れることができずにいたが、トツ子からの言葉もあり、最後はトツ子とともにルイに向けて大きく大きく「がんばれ」と言葉を送るのであった。

考察

トツ子は何色だったのか、なぜその色なのか

本作において大きなテーマとして「トツ子の色は何色なのか」ということがあります。

自分の色だけがわからないとトツ子は話していましたが、作品後半で自分の色を初めて「赤色」と認識しました。

ではなぜトツ子の色は「赤」だったのでしょうか。

私は「光の三原色」が頭に思い浮かびました。

バンドメンバーである、きみは「青」、ルイは「緑」です。そしてトツ子の「赤」が光として混ざると「白」になります。私は、作中で人との関係性においての親和の強調する手段として「光の三原色」を使用したのだと考えました。そう考えるとこの三人が出会い、バンドを組むというのは必然であったと捉えることができるのではないでしょうか。

ちなみにコンサート後、トツ子が踊りながら自分の色を認識した場所に数多く咲いていた花の色は白色でした。このような演出もトツ子の色が「赤」である必然性に対しての裏付けになっていそうですよね。

なぜ自分の色が見えるようになったのか

トツ子の色がなぜ「赤」なのかということを述べましたが、ではなぜトツ子は突如として今まで見えなかった自分の色が見えるようになったのでしょうか。

このことを考えていくうえで、一度トツ子たちのような高校生の時に限らず、子どものころを皆さんにも思い出してほしいのです。

誰しも、子どものころ、周囲の目が気になるあまり、自分自身のことがわからなくなってしまう、もしくは、物事がうまくいかず、ありのままの自分自身を受け入れられなくなってしまうといったことはなかったでしょうか。

私は、トツ子の人が色で見えるということは、周囲の人間に対しての感受性の鋭さの延長によって起きていることではないかと考えました。

トツ子には自分が好きだったバレエがうまくできなかった過去があります。きみも、ルイも一緒です。大小はありますが、人には誰しも自分自身で受け入れがたい部分があるのです。しかし、そのような部分も自分で受け止めることで人は大人になることができると私は思います。

作中で何度もトツ子が教会で祈るシーンがありますが、その際に引用されている祈りの言葉をここで思い出していただきたいです。

神よ、変えることのできないものを受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

トツ子は、バンド活動をはじめとした他者との深いかかわりを通じてトツ子自身が成長し、変えられない自分自身を受け入れることができたからこそ、自分の「色」を見ることができるようになったのではないでしょうか。

ラストシーンに込められた意味

本作のラストシーンは、今後どのように三人が人生を歩んでいくのかわからない感じで終わってしまいます。鑑賞者によっては、内容がはっきりしないのでもやもやした気持ちを抱いた方もいると思います。

私はこのラストシーンについて、どのように人生が続くのかは誰にもわからない、でも言葉をポジティブに言い換えればどのようにでも人生は続けられる、だからこそどうなるのかわからないようにしたのではないかと考えました。

三人のそれぞれの境遇は変化していくかもしれないけど、関係性は変わらず、また三人で会ったときは音楽を奏でてくれていたらいいなと思いました。

まとめ

最後にこの作品全体を通してどのような映画だったのかを述べて締めにします。

本作は、高校生活の甘酸っぱい美しさはもちろん、思春期の感受性の鋭さ、現在を生きる難しさ、から大きく言ってしまえば、鑑賞者自身の人生の切り取りをしてくれている作品だと思いました。

高校生という心の揺れ動きが激しい時期は傍から見たら小さく見える悩みも重くとらえがちになってしまいます。でも、その心の内を明かすことができれば、理解し受け止めてくれる人間は必ずいて、ありのままの自分を受け止めるきっかけにもなります。

このような誰もが抱いたことのある心の不安や、人生においての転機を共感しやすくうまく表現している作品だなと私は考えました。

この記事を読んでいただき、「きみの色」の魅力を1人でも多くの方に知っていただけると幸いです。

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